リーガ・エスパニョーラで戦う現役なでしこインタビュー【品田彩来選手】後編
プロサッカー選手として海外を飛び回る、一人の「なでしこ」。品田彩来選手は、2017年より女子リーガ・エスパニョーラ1部のRDCエスパニョールに所属している。
1900年10月28日に創立されたRCDエスパニョール。100年以上の歴史を持つ同クラブは、リーガエスパニョーラのプリメーラ・ディビジョン(1部)で常に戦ってきた。
女子・男子チームともにプリメーラに所属するクラブは、FCバルセロナ、アトレティコ・マドリード、ベティスなどエスパニョールを含めて7つ。男女ともに力を入れているチームはスペインでもそう多くはない。
現在、海外でプロサッカー選手として活躍する品田選手。日本・アメリカ・スウェーデン・フィンランドと海外を渡り歩き、スペインでの戦いは2シーズン目を迎える。
―しかし、日本での中学・高校時代は出場機会に恵まれることはなかった―
「日本で成功したか?」と問われれば、答えることは難しい。彼女が海外でプロサッカー選手になるまでの道のりと、人生観。そして、多くの国を渡り歩いたからこそ気づけた「理想の姿」について話を聞いた。
前編はこちら→リーガ・エスパニョーラで戦う現役なでしこインタビュー【品田彩来選手】前編
Q:アマチュアからセミプロへと着実にステップアップ。スウェーデンからフィンランドへの移籍でプロ契約を勝ち取ったと聞きました。
スウェーデンのクラブからは、契約更新オファーをもらいました。しかし「金銭面でプロ契約の条件提示はできないかも」と、あやふやな返事をされて。4ヶ月間も待たなければならない可能性があり、最終的には、ビザの関係でスウェーデンから日本へ帰国しました。
日本滞在中は、新しいオファーを待つ他なくて。だけど、なぜか不安はなかったですね。”自分のプレーが海外で通用する自信”を持てたから、「大丈夫、待とう」と、素直に思いました。
『フィンランドのチームが獲得に興味を示している。』
獲得に興味を示してくれたクラブの監督が、アメリカで卒業した大学OBで、ずっと私のことを気にかけていたこと。スウェーデンのチームメイトにフィンランド元代表選手がいて、彼女とその監督に親交があったこと。などが重なって、移籍の話しはポジティブに進みました。
そして念願のプロフェッショナル契約を勝ち取りました。
Q:長い長い修行の道を終えて、プロとしての第一歩を踏み出しました。初めてのプロ生活で感じたことを教えてください。
「プロの残酷さ」を学びました―。
まず私を獲得してくれた監督がプレシーズン中に解任されます。自分を信頼する監督がいなくなり、またゼロから新しい監督へアピールしなければなりません。このときは、新監督の下でも何とかスタメンを勝ち取りました。
フィンランド代表選手と、私のような外国人の選手をミックスしたチーム編成。それは地元の子供達へできるだけレベルの高いサッカーを提供する目的もあります。スタメンとサブのレベルに差があることで、自分がプレーしなければならない責任を感じていましたね。スタメン争い、そしてクラブからの重圧。それに立ち向かう”キツイ”感覚がありました。
負の感情を押し殺し、努力して信頼を得た矢先。また監督が変わります。次の監督は、外国人はチームに必要ないという方針を打ち出して・・・。結局、私もチームを追われることになりましたね。
監督が変わるたびにゼロからのスタート。今まで積み上げたものは関係ない。プロの世界の厳しさを感じました。
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Q:厳しい世界ですね・・・。フィンランドでのプロ生活から一転、チームがない状況になりました。
チームを追われた時期は、他のヨーロッパのリーグはシーズンが始まったばかりでした。プレシーズン後は、チームに最も入りづらい期間。チーム探しに苦労しました。
「これは日本に帰る機会かな」と思い、帰国。
日本のチームでトライアウトを受ける過程で、海外にはなかった日本独特のサッカー文化と雰囲気を改めて感じました。上下関係、練習時間、試合に対する取り組み、休息の少なさ。日本と海外の大きな環境の違いですね。ピッチ内・外で追い込まれた環境の中で「続ける人」だけが生きていける世界。この状況下でのサッカーは、”私”には合わない。シンプルな答えでした。
その後、サッカーを引退することも頭に過ぎりました。でもまだ24歳(当時)。もう一度プロとしてチャレンジする自信はありました。けど悩んでいる間に半年くらい経っていましたね。笑
海外でプロとして戦う。その後、日本でサッカーをして新たに見えたものもありました。「日本で3部リーグでプレーしている選手が、私の目から見れば海外の1部リーグに通用するな」と思ったり・・・。1つの場所にとらわれないこと。視野が大きく広がっていましたね。
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Q:悩みと葛藤。その半年のブランクからスペインの名門エスパニョールへ移籍を掴んだキッカケは何だったのでしょうか?
「スペインでプレーしたい」と思ったキッカケは、日本で見たアルガルベ杯でした。スペイン代表のサッカーをみて、次はスペインでやりたい。その想いが強くなり、契約している代理人にスペインのクラブでのトライアウトをセッティングしてもらいました。
1チーム目のトライアウトは、良い感触でした。トレーニングに参加してスペインサッカーを感じて楽しかったです。
2チーム目は、ちょうど自分が練習参加する週に、トライアウトの許可を出してくれた監督の来季続投が白紙になったことを発表されて・・・。結局、そのチームとのトレーニングは流れました。
3チーム目は、当時リーガで首位を走っていたアトレティコ・マドリード。基本的にアトレティコはトライアウトは受けさせてもらないので、Bチームの練習に交じりました。実力が認められて、Aチームで試してもらえることに。しかしトレーニングマッチで結果を残せず、最終的に不合格でした。
4チームはサラゴサ。ただこのチームも突然トレーニングが中止になり、練習参加できず。
「このままでは日本に帰れない・・・」チームが決まらなければ”引退”の2文字も頭によぎりました。
困っていたら、代理人から現在所属するエスパニョールへの練習参加が決まったと連絡が入ります。練習参加後、「最終決定のために週末のトーナメントに出場してほしい」と、チャンスを貰いました。
Q:絶望の中から新しい扉を開いてきた品田選手。今スペインでプレーして感じることを教えてください。
エスパニョールに入って、初めてプロの待遇を知りました。スペインの女子1部のリーグはプロフェッショナル化が進んでいます。(2019年シーズン女子リーガエスパニョーラ1部・アトレティコ・マドリードvsバルセロナ戦は、6万739人を動員)。
周りの選手はプロとして輝かしい実績がある。私には、オリンピックやワールドカップの出場経験がない。だから大きな舞台で活躍したい。いつの間にか『チャンピオンズリーグに出場する』ことが目標になっていました。
「日本代表になりたい」とか、「チャンピオンズリーグに出場したい」とか、雲を掴むような漠然とした目標は、自分の可能性を狭める可能性もある。自分が決めた大きすぎる夢。それに見切りをつけて引退する選手が、たくさんいます。
それが目標になっては駄目だ。それに気づきました。
今の私の”芯”はシンプルで・・・。良い選手になりたい―。
国籍・年齢・性別・過去の実績、関係なく。誰かが私のプレーを見て、「良い選手だな。誰だろう」って思ってもらえる。チームを勝たせられる選手。「自分の定義する良い選手」を目指すから、実績・栄光・結果など”目に見えるもの”ばかりにとらわれない。そうすれば自分自身に目を向けて、『今を生きる』ことが出来るような気がします。
今振り返ってみると、『日々、良い選手を目指す』そういう気持ちで、トライアウトや練習、試合を繰り返してきた。今も大切にしている私の”芯”です。
Q:では、最後にプロを目指す選手たちにメッセージをお願いします。
「日本で出場機会を得られなかった選手は、海外で通用する訳がない。」そう言われることもありました。でも負けたくなかった。だから自分の可能性を信じ抜いた。
国籍・年齢・性別・過去の実績は、関係ない。ピッチの上で良い選手であるかどうか。”純粋にサッカーを楽しむ”気持ちを大切にしてください。
前編はこちら→リーガ・エスパニョーラで戦う現役なでしこインタビュー【品田彩来選手】前編
【スペクラTV】
品田選手が各国で感じた海外のサッカー。日本人選手が海外でプロサッカー選手として活躍するためのヒントとは?
こちらのインタビュー動画は本記事と違う内容になっています。是非御覧ください!
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