リーガ・エスパニョーラで戦う現役なでしこインタビュー【堂園彩乃選手】
堂園彩乃選手は、2016年よりスペイン・カナリア諸島テネリフェ島のプロクラブ
[UDグラナディージャ・テネリフェ・エガテサ]に所属しています。
テネリフェ島はスペイン国土のカナリア諸島の島で、スペインよりアフリカに近く南国リゾート地とも知られています。そんな観光地の離島を拠点とするグラナディージャは、2015-16シーズンに念願の1部昇格を果たしてから、頭角を表したクラブです。
同選手は、グラナディージャに1部昇格2年目のシーズンから加入し、今季スペインで3シーズン目を迎えます。
U-20日本代表としてU-20FIFAワールドカップへの出場。
なでしこリーガーとして浦和レッズに7シーズン所属し、リーグ優勝を経験。24歳で現役引退。
その後スペインへの挑戦のため、現役復帰。本インタビューでは、
そんな異色の経歴を持ちスペインの孤島で戦う堂園選手にインタビューしてきました。
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堂園選手のスペイン移籍に至るまでのサッカー人生について教えて頂けますか?
小学校高学年の頃に、当時仲の良かった友達の女の子に誘われてサッカーを始めました。
最初は本当に興味本位でしたね。私は鹿児島出身なのですが地元の小学校のサッカー少年団に入団しました。私の他にも女子選手がいるチームだったので、女の子がサッカーをすることに対する抵抗感はなかったです。
中学生になって、地元の中学校のサッカー部にはいりました。
小学校のサッカークラブのチームメイトが一緒だったので、女子選手は少なかったですが、引け目を感じたことはありませんでした。中学生になって唯一悲しかったことは、小学校の時は感じることがなかった男子との身体能力の差ですね。笑
高校は、女子サッカー部があり地元でも強豪だった神村学園に進学しました。1年生の夏の全国大会で浦和レッズのスカウトの方に運良く目をつけて頂いて、高校引退後は浦和レッズに入団しました。
レッズでは、安藤梢選手を筆頭に日本代表クラスずらりと揃う豪華なメンバーの中で、最初は付いていくのが必死でした。7年間所属したのですが、降格争いもリーグ優勝もあって、喜びも苦しみも味わうことができたことは今になって良い経験だったと思います。
浦和レッズに入団して7年間なでしこリーグで活躍し、24歳の若さで引退を決断した理由は何だったのでしょうか?
小学校の頃にサッカーを始めたときの私の夢は「なでしこリーガーになる」ことでした。幸運にも浦和レッズに入団することができ、18歳で私の夢が一つ叶いました。
なでしこリーガーとして1年目、2年目の頃は、日本代表選手と一緒に練習したり、試合に出ることが刺激となり、「日本代表としてプレーする」ことが目標になりました。
しかし、代表クラスの選手が引退して自分がチームを引っ張る存在になった時に
「サッカーを続けること」が辛くなった時期がありました。22歳の時だったと思いますが、両親に相談したことを覚えています。その時は、父からボソッと出た「楽しみがなくなるな・・・」という言葉で「もう少しやってみよう!」という気持ちになり、引退を踏みとどまりました。
その後、チームは降格争いに加わるなど世代交代の波に呑まれそうになりました。
しかし、チーム一丸となり立て直しを図り、リーグ優勝まですることが出来ました。
その中で、ずっとモヤモヤしていた想いが「自分のサッカーに対する気持ち」でした。あの頃の私はサッカーに対してネガティブな気持ちを持っていました。
若い選手達が情熱を持ってサッカーに取り組む中で、「こんな気持ちで本当にチームに居てもいいのだろうか?」という想いが湧き上がって来ました。
中途半端な想いでサッカーを続けるのは、チームにとっても、自分にとってもプラスにはならないと考えた事が、引退の理由でした。
サッカーに対する気持ちが薄れて引退した後、現役復帰を決断してスペインリーグにチャレンジするモチベーションはどこから湧いて来たのですか?
レッズで引退した後、スペインに来る前に実は一度現役復帰しました。半年間だけですが、当時地域リーグに所属してチャレンジリーグ昇格を目指していたオルカ鴨川から熱烈なオファーを頂き、現役復帰と入団を決めました。そのシーズンにオルガは見事昇格を果たし、2016年3月に私はもう一度現役を引退することに決めました。
サッカーを引退して、人生について考えることが多くなり気づいたのが、「やりたいことがない」ということでした。サッカーを一生懸命してきたのですが、いざ引退して「自分のやりたい仕事」や「将来なりたい自分」に目を向けた時、やりたいことが見つからない自分がいました。
そこで止まっていても仕方ないので「やりたいことが無ければ、何でもやってみよう」と思い立ち、【行動】してみる事にしました。
海外に興味があったので、ワーキングホリデーのセミナーなどに足繁く通った記憶があります。「海外で生活をしてみたい」と、考えるようになった時、元レッズのチームメイトだった千葉望愛選手(スペインリーグ1部マラガ所属)がスペインリーグへトライアウトへ行った話を聞きました。直接話を聞きたかったので、すぐに彼女と連絡を取り、現地コーディネーターを紹介してもらいました。
海外で生活するという目標を、これまで一生懸命に続けて来たサッカーで叶えてみよう!と思ったのがキッカケでしたね。だから、スペインリーグでサッカーをしたい!という気持ちよりも、海外で生活してみたい!というモチベーションの方が高かったです。笑
だけど、これも海外でプレーをするための一つのモチベーションであってもいいと今は考えています。それにテネリフェ島は私の性格にぴったりの街で、世界で一番大好きな場所を見つける事が出来ました。
生活や文化の違いで最初に苦労した事などはありますか?
それはよく聞かれるのですが、実はあまり思い浮かばないんですよ・・・。笑
凄いバイタリティーですね。笑 語学面では苦労はありませんでしたか?
そうですね。確かに語学面では苦労しました。チームメイトは本当に優しかったのですが、彼女たちが言っている事が理解できず歯がゆい思いをしました。最初はレストランにも、練習にも、遊びに行くにも辞書を肌身離さず持ち歩いていましたよ。
言葉が分からないと、チームメイトやスタッフが私の悪口を言っているんじゃないかな?と不安になったりする事もあって、精神的にはしんどい時もありました。けど、「全て自分の成長のため」と割り切って、ポジティブシンキングを心掛けていましたね。笑顔でいると自然とチームメイトとも仲良くなって、溶け込む事も出来ました。
だから正直、苦労を苦労と思った事がないのかもしれません。笑
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日本とは全く違う文化を持つスペインで、人間的に成長した部分はありますか?
「笑顔が増えて明るくなった」と家族や友人に言われるようになった気がします。前の自分はそんなに暗かったかな?と思ってしまいますよね・・・。テネリフェに来た事が理由かは分かりませんし、自分でも変わったつもりはありませんが、皆んなに言われるので明るくなったのかもしれません。
堂園選手はスペインと日本の1部リーグでプレーを経験している訳ですが、
スペインと日本のサッカーの違いは感じますか?
日本人の基礎的な技術はスペイン人にも負けていないと思います。逆に、パワーやフィジカルといった「大胆さ」、試合中にシステムを変えるなどの高度な戦術的駆け引きは日本サッカーにはない部分だと感じます。
スペインリーグに移籍して良かったことはありますか?
年々成長し続けている女子スペインリーグでプロサッカー選手として生活ができている事、
そして海外に出て「自分が大好きな街に出会えた」事が本当に良かったと感じています。それは、日本にいたら出会えなかった事だし、スペインへ行く決断をしたから経験できた事。
「やりたい事がなければ、何でもやってみて良かった」と思います。
リーガ・エスパニョーラに移籍して、今季で3シーズン目となります。今シーズンの意気込みはありますか?
私は、2016-17年シーズンから移籍してチームに所属しているのですが、前年度にチームは昇格一年目でリーグ7位の結果を残していました。2部から昇格してきたチームにとっては、降格争いが当たり前なのですが、テネリフェは一年目で皇后杯(コパ・デ・レイナ)の出場権を獲得したのです。そして私が加入した年は、昨シーズンの成績を凌ぐ6位でフィニッシュしました。そして2年目だった昨シーズンは、アトレティコ・マドリード、FCバルセロナ、アスレチック・ビルバオについで4位の成績で終えることができました。
チームメイトとは話していますが、
今年はチャンピオンズリーグ出場権(リーグ戦2位以内)を目標に頑張りたいと思っています。
FCバルセロナやアトレティコ・マドリードといった強豪がいますが不可能な目標ではないと感じています。
最後にこれから海外へ挑戦する方々へメッセージをお願いします。
自分の目で見て、自分の肌で感じて、チャレンジして欲しいと思います。もし何かモヤモヤしている気持ちがあるなら、まず行動して一回海外に飛んでみるのもありかと思います。もし「何か違うな・・・」と思えば止めればいいですし、何もやらないで後悔するより「自分で確かめる過程」が大切なのかな?と、最近思います。
だから、「自分で実際に見て、感じて、チャレンジする事」が今の私が伝えられるメッセージですね。
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