【スペインサッカー紀行】セビージャの街とREAL BETIS
スペインサッカー紀行Vo,2は「セビージャ」
目次[非表示]
- 0.1.セビージャってどこ?
- 0.2.街並み
- 0.3.レアル・ベティスの歴史
- 0.4.ベニート・ビジャマリン
- 0.5.関連記事
この連載では、スペイン1部リーグに所蔵するクラブの都市を紹介していきます。スペインには美しい都市が多く存在し、そのすべての街にサッカー文化が根付いていると言っても過言ではありません。サッカークラブと共生するスペインの街々の歴史と暮らしに迫ります。
Vol,1では、バルセロナについてご紹介しています。
【スペインサッカー紀行】バルセロナの街とFC BARCELONA
セビージャってどこ?
セビージャはスペイン南部に位置する内陸の街で、アンダルシア州の州都でありセビージャ県の県都です。ポルトガルが比較的近く、国境まではわずか150km。この街を流れる西洋につながるグアダルキビル川の恩恵を受け、遥か昔から港湾都市として名を馳せています。大航海時代には新大陸との交易港として栄え、1519年に世界一周の旅に出たマゼランもこの地から出発しました。
夏はスペインでも特に暑さが厳しい地域として知られており、ヨーロッパ内の人口10万人以上の都市の中では、コルドバに次ぎ2番目に夏が暑い街になっています。
スペインを代表する観光都市のひとつであり、観光客は人懐っこい人々に触れ合い、本場のフラメンコや闘牛、4月に開催されるスペイン三大祭りのひとつ、フェリア(春祭り)を楽しみます。
街並み
セビージャは712年にアフリカ大陸からジブラルタル海峡を渡ってきたモーロ人により500年以上に渡り支配された歴史があるため、街の随所にイスラム文化繁栄の跡が色濃く残されています。
スペイン最大かつヨーロッパ3番目の規模を誇り、探検家クリストファー・コロンブスのお墓があるセビージャの大聖堂の他、アルカサル、インディアス古文書館が世界遺産に登録されています。
大聖堂に隣接する高さ97.5mのヒラルダの塔はイスラム教徒により建築され、800年以上経った今でも街のシンボルとして存在感を示し続けています。
また白壁の家々が並ぶサンタ・クルス街(アラブ人街)は、一種独特な雰囲気を漂わせています。
レアル・ベティスの歴史
レアル・ベティスは緑と白のチームカラーが特徴のセビージャを本拠地とするクラブで、かつて清武弘嗣選手や指宿洋史選手がプレーした同じ街の永遠のライバル、セビージャFCと人気を二分しています。
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クラブ創設は1907年9月12日。セビージャFCが労働階級の選手たちとの契約を拒んだことにより、それに反発した人々によって新たに創設されたベティスFCと、学生たちによって創られたセビージャ・バロンピエが1914年に合併され、当時の国王アルフォンソ13世より “レアル(国王)”の称号を拝領し、現在の正式名称レアル・ベティス・バロンピエになりましたが、正式な創設年はセビージャ・バロンピエ発足の1907年になっています。そのため現在でもセビージャFCが富裕層、ベティスが庶民に愛されるクラブと言われます。
セビージャダービーはクラシコに次ぐスペイン国内で2番目に重要なダービーとして知られています。1935年2月に実現したプリメーラ初対戦はベティスが0-3で圧勝。さらにこのシーズン、クラブにとって唯一のリーガ優勝も成し遂げています。
ベニート・ビジャマリン
現在のベティスのホームスタジアム、ベニート・ビジャマリンのこけら落としは1929年。セビージャFCのホームスタジアム、サンチェス・ピスファンまでの距離はわずか4kmほどです。
乾貴士選手が今シーズンの入団会見の際に言った「ビバ、ベティス!マンケピエルダ!(ベティス万歳!たとえ敗れようとも!)」は、何度も降格の憂き目に遭いながらも、人々が “ベティコ(ベティスサポーター)”を決してやめることのない、ベティスの根強い人気を示す有名な言葉になっており、ベニート・ビジャマリンでそれを肌で感じ取ることができます。
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